2015年6月10日水曜日

今更だが『愛のコリーダ』を観た。

ひょんなことで大島渚監督の『愛のコリーダ』を見た。

以前まで、私は大島渚監督の作品は『戦場のメリークリスマス』と『御法度』しか見たことがなかった。どちらも大作であるが、多くの場合、大島監督の代名詞として出されるのは『愛のコリーダ』のほうなんじゃないだろうか。
それほど知名度が高い映画なのに、現実社会でこの映画の感想が囁かれる機会は戦メリや御法度に比べてガクッと少ない。

映画が発表された当時「ヒョーゲンかワイセツか」問題で様々な物議を醸したそうだが、今でも話題になるのはその点だけであるような気がする。
映画の魅力自体については、誰も語ろうとしない。


その謎がきっぱりと解けた。だってこれ、バリバリのポルノ映画だからである。
言葉が悪いが、要するにずーっと入れっぱなし、やりっぱなしの映画だ。しかも役者が本番をしてしまっている(疑似ではなく実際にやっちゃう撮影を「ハードコア撮影」というらしい。はじめて知った)。
正直言ってこの映画はセックス以外に見所はないし、セックスにはじまりセックスに終る。男女の局部が丸写しにされ、中には見たくもない醜い性器まで見させられる。
ある種拷問のような映画でもあるのだが、それとは対称的に、美しい場面はとことん美しい。定(松田瑛子)と吉蔵(藤竜也)がセックスをするのは料亭や旅館であるわけだが、質素な部屋に彼らの着物や帯、白い肌のコントラストが壮絶である。

とくに定の着ている着物は美しい。ここまで原色の着物がぱきっと似合うのは羨ましい限り。襟の抜き方もサマになっているし、まさに「粋」な女性をそのまま体現している。
そしてなにより吉っさんである。藤竜也ハンパない。藤竜也がいなかったらこの映画は成立していなかった。女優を活かすも殺すも相手次第、ということがよくわかる映画だ。
定のすることには全部肯定し、彼女を受け容れる優男の吉蔵。それを自然に演じてしまえる藤竜也はやはりすごい俳優だと思う。
フツーの価値観を持つ女性の私から見てもこの藤竜也には惚れてしまう。

このあと藤竜也はしばらく仕事を干された(らしい)が、なんでそんなもったいないことを……と涙が出そうになる。この脂ののりきった時期の藤竜也様の演技をもっと見てみたかったと思う今日この頃。「愛のコリーダ」より前か後かわかりませんが、だいたい同じ時期に沢田研二様とドラマで共演していますのよね。この演技もなかなかヤバイので(おホモ)是非レンタルで見てみてほしい。ちなみに「悪魔のようなあいつ」です。

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