2015年6月4日木曜日

昭和歌謡曲


今週のNHK歌謡ショー、そして民放の水曜歌謡祭。
どちらもジュリーが流れましたね!(後者は音だけでしたが)

氣志團の綾小路さんが「おまえにチェックイン」について「この曲ってお持ち帰りソングなんですよ。まずこの当時、ジュリーに誘われて断る人はいない」というようなことを言われていて首がもぎれるほど頷きました。(笑)
そうなんだよ。爽やかに歌ってるけど、あれ、乱暴に要約すれば出会ったばかりのちょっとイイなって女性とホテルでねんごろになって翌朝「やっちまった…」ってなるだけの曲なんだよね。それをあの時代に、あまりにもポップに華麗に歌い上げてしまうジュリー様。すごい。ジュリーのすごいところは色っぽいのに下品じゃないところ。だから一歩間違えば引いちゃうような歌詞を歌っても全然問題ないのだ。これはすごいことだ。

で、綾小路翔さまの「おまえにチェックイン」カバー。すごくよかったと思います。
正直ジュリーカバーのはなしを聞いた時は、「ええっ……あのしゃがれ声で“カサブランカ・ダンディー”とか歌われたらどうしよう……」って無駄な心配をしていたのですが、さすが翔様、自分のキャラクターをわかっていらっしゃる。
後ろのE-Girlsは必要なのか?って思ったけど(ごめんね)

あとはこれはジュリーと関係ない話なのですが。
テレビはプチ・歌謡曲ブームがきているなあと感じるのは、私だけでしょうか?
なんだかテレビをつけるたびに、若い歌手が歌謡曲をカバーしていたり、昔の歌番組を流していたり……という気がするのだけれど、
偶然なのかな?
これも『あまちゃん』効果なのかしら(実は見ていない)。

最近の薄味なJ-POPに飽きた人たちが、歌謡曲に再び注目しているのかもしれない。
そうだったらすごく嬉しいな。やっぱり親しみやすい音楽で、日本語の美しさを最大限に活かせるのは歌謡曲だけの魅力だと思う。ってリアルタイムでなにも見ていない自分が言うのはすごく烏滸がましい感じがするけど…お許しください。
あとやっぱり、単純に景気がいいときの音楽ってパワーが違うなあって思います。
大衆音楽ってその時々の時勢の影響がモロに出ていて面白いですよね。高度成長期のときは学生運動が盛んだったせいか、学生のアイデンティティクライシスを歌ったような暗い曲もけっこうあるんですけど、バブルのときは思いっきりド派手、なんかテクノでキラキラしてる、悪く言えばパッパラパー…って感じで。
歌謡曲全盛だった時代の、だいたい20年くらい、その揺れ幅の大きさを見るだけでもすごく面白いと思います。

今の音楽は正直よくわからないのです。
ロック雑誌を読んでても「これってロックなのか?」ってバンドばかりで。歌詞もなんかJ-POPと大差ないような、完全にマジョリティー寄りなことしか言ってなくて。たとえマジョリティー側に居たとしても、本当にいいことを言っているかと言ったら、そうでもなくて。とてもその人の本心から出ているマジな言葉だとは思えないのよね。ただリフレインみたいにスキだの一緒にいてほしい、だののフレーズが並べられているだけで。なんだかなあって。アホらしくなってしまった。なんか大衆音楽も、ロックも、テクノも、アイドルも全部ごっちゃまぜになってしまったような。住み分けがなくなったぶん、どれも同じように聞こえる。心に沁みるように「いいなあ」って曲に、なかなか巡り会えないのです。
でもなんでも頭ごなしに今の音楽は良くない良くない!って現状否定してるだけじゃあ駄目だなって最近思いはじめて、がんばって今のいい音楽を探そう、積極的に聴こうとしているんですが…気づくとプレイリストが昭和歌謡と80年代のロック、90年代のポップスに戻っています(笑)だめだあ。

神聖かまってちゃんが言うところの「最近の曲なんかもうクソみたいな曲ばかりさ なんてことを君は言う いつの時代でも」という歌詞にこれほど共感したことはない。(“ロックンロールは鳴り止まないっ!”)
私も着々と老害になりつつあるのだな。。
いろいろしゃべり散らかしてしまいましたが、お口直しということで永遠に色褪せない美しいジュリーを貼っておきます。





NHK歌謡ショーで流れた紅白ジュリー。
めちゃくちゃカッコイイけど、上着脱ぐところでちょっと慌ててるのがかわいいよね。
完全に脱ぎきれなくて片方だけ肩にかけてるんだけど、その機転の速さがすごい。
夜ヒットDVDでも『勝手にしやがれ』でジャケット脱ぐのに苦闘してた回があったように思う。ジャケットをすばやく、かっこよく脱ぐ、って意外と難しいのかもしれません。

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