2014年11月20日木曜日

「すべての仕事は売春であり、愛である」———『pink』岡崎京子

pink


この前、久しぶりに読み返してふたたび「はあ〜〜」と感嘆のため息をついてしまった漫画。進んで漫画本を買ったり、漫画雑誌を買ったりということをしなくなって久しいけど、この時代の漫画はすごい、と思う。
タイトルの言葉はもうこの漫画を読んでいる方にはおなじみである、ゴダールのことば。
(「売春」のあとに「愛」と付け加えたのは、たぶん岡崎先生だと思うけど)
ピンク色のカワイイ装丁に、この格言が載っているのが最高にクールだと思った。

『pink』を読み返しながら、今週の月曜日に楠本まきの全集を買い、『Kの葬列』を読んで頭が完全にやられたのを思い出した。こんな暗示的で、退廃的で、緻密で複雑な構成の漫画がマーガレットに載ってた時代って……どれだけ水準が高かったんだろう、と。同時に、今売れている中村明日美子をなんとなく彷彿とさせる感じで。こっちが元祖だったんだな、と。発表から軽く二十年も経ってるのに(私生まれてません)まったく古さを感じさせません。これはどちらも同じ。
で、話を戻すと。


岡崎京子の『pink』でひときわ興味深い場面があります。

 ワニと暮らすユミちゃんが、部屋に南の植物を持ち込んで熱帯雨林に改造した結果マンションをめちゃくちゃにしてしまい、無一文でハルヲくんのところにワニと共に乗り込んでくる場面。
ハルヲくんはユミちゃんと違いフツーの大学生なので(オバさん相手に体は売っているが)いわゆるボロアパートに住んでいる。

  「なんでこんな狭いところに住んでいるの?」

といたって純粋に疑問を訴えるユミちゃんに対し、ハルヲくんは呆れ気味に、

  「みんながポパイみたいに暮らしているわけじゃない」

で、このユミちゃんの返し方がすごい。
  「でもわたしはアンアンのグラビアみたいに暮らしたいな」…… 

(すみません。原書が手元にない為、記憶のまま抜粋しています)


 高校時代の友人で、このユミちゃんみたいな子が実際にいた。 ふだんからとびきり可愛らしい恰好をしていて。 女の子らしい明るさと、天真爛漫さ、そしてユミちゃんと同じ、ぴかぴかの爪。 学校帰りにパルコやルミネでひとしきりお買い物して、紀伊国屋書店で雑誌を買って。 スタバでお茶して。(pinkだと、まだドトール)

 その子は他の子と違って 「今お金がないの」とか「金欠なの」 って言わないのが、すごく不思議だなって以前から思っていた。 いつでもどこかに行こう、どこそこで遊ぼう、買い物しよう、と私を誘ってくれる。 もちろん、実際お金に困ってないのだろうし、その子はバイトもしてないから単純に家が裕福なのかもしれない。 でも、私にはこう聞こえるようだった。

「だってお金がないってことは、幸せになれないってことでしょう?」

 お金がなきゃ幸せになれない。
子供のころから身も心も資本主義にどっぷり浸かり切って、拝金主義が染み付いた私は この言葉がちくちくと胸にささる。 『ベルサイユのばら』でこんな場面がある。 王妃の親友ポリニャック夫人がなかなか宮廷に上がってこないことについてマリー・アントワネットが問いつめると ポリニャックは「お金がないからであります」と恥ずかしそうにこぼす。 そのことにアントワネットが 「まあ、お金がないなんて、そんな恥ずかしいことを言えるなんて!」 と、彼女の素直さ(?)に感動するという、今見たら爆笑が止まらない場面があるが、 小学生の私はこの言葉を、純粋に受け取っていた。 その後、贅沢三昧の暮らしも破壌し、ポリニャックにも捨てられ、ついには息子のお葬式すらできなくなるアントワネットの落ちぶれぶりに お金って言うのは絶対的なものなんだ、としみじみ感じたのである。

 ユミちゃんはピンク色の美しい薔薇をみて 「お金でこんなに美しいものが買えるなら、いくらだって働こう」と決意する。 ユミちゃんは昼間はOL、夜はホテトル嬢と二足のわらじで、欲望のために稼ぎまくる。 働いて働いて、おいしいものを食べる。ブランドもののきれいな服を着る。長期休暇にはハワイやグアムに行く。 誰だって、日常をそうして過ごしているのに、なんでだろう。岡崎京子の漫画を読むと、それらがおそろしく歪んだものにみえてくる。


 若者がモノを買わないと言われて久しいけれど、 女の子の欲望の根本はほとんど変わっていない。 また、そうして女の子の欲望を喚起させる存在も、ほとんど変わっていない。 それこそ、岡崎京子があとがきで書いている通り「名前と顔が変わっただけ」。

 『pink』と出会ったのは、去年の冬の新宿ブックファーストだった。 大学一年の私は、岡崎京子の世界に完全にやられていた。
かわいらしい装丁の漫画は、思想書とか哲学書が置いてある コーナーの一角で異彩を放っていた。それは『AV女優の社会学』や『消費社会の神話と構造』と同列に置かれていた。私はそれらをまとめて買い上げた。でも、いま思えば『pink』一冊でじゅうぶんだったのかもしれない。 だってここには人が欲望すること、シアワセという記号を求め続けることが、馬鹿な私にもわかるレベルで、私と同じ生活フィールドのなかで簡潔に描かれているから。

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